バイク便の思い出話 第1話
まだ良かった時代のバイク便
みなさんこんにちは。
代表の平下です。
今日は私が若い頃やっていたバイク便の思い出話でもしようかと思います。
今後シリーズ化して商品のネタに困ったらこの話にします(笑)
レーサーを夢見ていた少年時代
時は2000年5月、代表は17歳。
レーサーを夢見て活動資金を集めるために手っ取り早くお金を稼ぐにはどうすればいいかと悩んでバイク便を始める事を決意。
当時はバイク便が稼げる職業としてテレビでも度々紹介されていました。
「好きなバイクに乗れてお金も稼げるなんて最高!」と求人誌でたまたま目についた会社に面接に行く事に。
当時住んでいた埼玉から都心の某社に向かいましたがバイクで東京を走るのは初めてで、高層ビルの間を颯爽(?)と走る自分に興奮していました。
少し迷いながらも到着したその会社は築40年は経っていそうな木造2階建てのオンボロでした。
恐る恐る入ると小さな事務所に数名の事務と社長が居ました。
最新のコンピューターシステムとは?
「面接が始まるまでウチのパンフレットでも見てて下さい」と事務員から渡された広告には
「当社は最新のコンピューターシステムにより出発地から目的地までの正確な直線距離を算出します!」とあり、「へえ、すごいんだなー」と思っていたところ受注の電話があったようで、オペレーターが「神楽坂1丁目から西新宿1丁目!」と声をあげると、一人の社員が立ち上がり壁に向かって立つと両手に一本のタコ糸を持ちました。
その社員が向かう壁一面には印刷されて繋ぎ合わされた地図が貼られており、それは東京23区全域の地図でした。
社員はタコ糸をピンと貼って地図に重ねると「1,2,3」と数えはじめ「4キロ!」と言うとオペレーターが客に4キロの料金を伝えていました。
そのタコ糸には地図の縮尺に合わせて1キロ毎にマジックで印が付けてあり、それで距離を算出していたのです。
「とんでもねえコンピューターシステムだ・・・」
ヤバい会社に来た気がしましたが、当時はインターネットで地図なんて見れませんでした。
それどころかgoogleすらほぼ知られていないような時代でしたので、そういうものなのかもと思い込んで結局その会社で仕事を始めました。
超ローテクの時代
当時のバイク便は今思えば信じられないほどのローテクでした。
仕事が入ると支給されたポケベルが鳴り、こちらから会社に電話をして仕事内容を確認していました。
みんな大体ケータイは持っていましたが、会社はケータイにはかけてくれませんのでこちらからかけていました。ケチですね。
しかし当時のケータイは通話代が高かったので、みんな1万円分のテレホンカードを持っていて公衆電話からかけていました。
なので得意先の近くで雨風が凌げて公衆電話があるところはバイク便がたむろするようになり、勝手にビルの敷地の裏の地べたに座ってみんな仕事を待っていました。
多分今やると通報されるでしょうが当時はそれが当たり前で、汐留に移転する前の電通が入っていた聖路加ガーデンタワー前はバイク便ライダーで溢れかえっていましたし、汐留に移転した後もビル前の歩道に無許可でテーブルと椅子とパラソルを立てて仕事を待つ者もいました。
スマホなんて無いので地図は1万分の1の23区地図が必須アイテムで、ETCなんて無いので高速に乗る時は首都高の回数券やハイウェイカードを使っていました。
当時はそれでもバイクに乗れる事が嬉しくて毎日楽しく走っていました。
そして仕事を始めて約1か月後の朝、その時はあんな大事故を起こすとは夢にも思わなかったのです・・・
次回に続く!
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